人生の脚本について
「コレット (Colette) 」
フランス人作家ガブリエル・コレットの伝記映画です。
コレットが作家になってから最初の夫と離婚するまでの、20歳~30代半ばまでの半生が映画のベースになっています。映画のあとの実際のコレットさんは、舞台役者をやりつつ戦争(第一次大戦)が始まると戦争の状況を伝えるジャーナリストや野戦病院の運営をしたりしていたそう。結婚は全部で3回しているようです。
戦争の話を絡めると、それはコレットの人生ではなくてコレットを通して見た戦争の話になってしまいます。結婚→離婚の流れが少なくとも2回登場してしまうと物語の展開としてみると単調になりかねません。長ければ100年は生きる人の人生、成長して人格が変わったり、途中でキャリアを変える人もかならずいて、そうした内面の変化を丁寧に描き切るためには一本の映画では尺がたりないのでしょう。だから、描くとしたらせめて人格もキャリアも一貫性が保てる十数年ということになるのでしょうか。
面白い映画でした。けれど、作中でのコレットは確かに文章をフランス語で書いているようなのですが本編のセリフは全部英語です。本当のコレットはフランス語話者だと思い、違和感を感じてしまいました。それとも、ヨーロッパ全体で共有される著名な作家だから英語でもOKということなのでしょうか?